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広島県三次市の寺と神社

太歳神社

祭神:木花佐久夜毘売命

相殿神:天津彦彦瓊瓊杵尊 大山祇神

由緒

広島県三次市三次町鎮座する太歳神社は、かつては日向山(比熊山)山頂にて天津磐境をもうけて、祭祀を行っていたといいます。大同3年(808)に出雲国神門郡青柳郷吹上島より勧進し神社建立。領主三吉家の崇敬が篤かったのですが、戦国期に三吉氏は滅亡。のちに安芸国の領主となった福島正則、ついで三次領主となった浅野長治によって崇敬。万治元年(1658)に社殿が焼失し、そののちに再建されました。その後は安芸国の領主となった福島正則や三次の領主となった浅野長治によって尊崇されました。宇河弘樹の漫画『朝霧の巫女』に登場する神社のモデルでもあります。なお現在の神社は万治元年(1658年)に消失した後に再建されたものです。

交通

  • JR三江線尾関山駅より徒歩20分
  • JR芸備線三次駅より徒歩40分

鳳源寺

鳳源寺(ほうげんじ)は、広島県三次市にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊は薬師如来。1633年(寛永10)、三次藩祖・浅野長治(あさのながはる)が建立した菩提寺。境内には大石良雄手植えと伝わる枝垂れ桜や、赤穂義士四十七士の木造を安置した義士堂や庭園愚極泉(ぐきょくせん)があります。

鳳源寺情報

手植えの桜
浅野長治の娘、阿久利姫(のちの瑤泉院)が赤穂藩藩主浅野長矩の夫人として輿入れの際、赤穂藩家老大石良雄がこの地を訪れ、手植えたと伝えられている桜。
義士堂
赤穂浪士47人の出立の姿を模した木像を安置する義士堂。
義士祭
毎年12月第2日曜日に行われます。焼失した義士堂と赤穂浪士の木造を修復し、再建したのをきっかけに始められました。陣羽織で義士に扮した有志が義士堂前で法要を営みます。瑤泉院遺髪の塔阿久利姫は夫・浅野長矩が切腹した後、落飾して瑤泉院と称し、1714年(正徳4年)に数え年46歳で逝去しました。その遺髪は三次に持ち帰られ、遺髪の塔に安置されています。瑤泉院の像瑤泉院の像は義士堂に向かい手を合わせています。1999年建立。
愚極泉(ぐきょくせん)
4代目愚極和尚が築庭した本堂裏の庭園。

案内

営業時間
9:00~17:00
休業日
無休
料金
境内無料
所在地
〒728-0021 広島県三次市三次町1057
交通アクセス(車)
中国自動車道三次インターチェンジから約15分
交通アクセス(電車)
JR尾関山駅より徒歩5分
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八幡神社

八幡神社(はちまんじんじゃ)は広島県三次市和知町に鎮座する神社(八幡宮)。鎮座地は国兼川を北西に見下ろす台地の先端部に位置し、地名を冠して和知八幡神社(わちはちまんじんじゃ)とも呼ばれます。

鎮座地

鎮座地は当初字大峠でしたが、その後字森重に遷され、更に現在地に遷座したといい、国兼川対岸の山際にあった金剛院(廃寺)が別当寺であったといいます。明治43年(1910年)に和知村内の艮、門田、稲生、白鳥、新宮、大平神社等を合祀しています。

祭祀

毎年9月に秋祭があり、神楽、狂言、少年による太鼓隊(獅子舞含む)が奉納され、大荒れで神社本殿と奥社(おたび)との間を往復する神輿巡幸も行われます。狂言は地元の有志によって興行される素人芝居で、明治末頃(20世紀初)には役者が台詞を忘れる事が多々あり、その都度初めからやり直した為に、物事を中途からやり直す事を「和知の狂言」と呼ぶ三次盆地一帯の俗諺が生まれました。また、太鼓隊は国兼川に架かる仁義橋(じんぎばし)の傍で隊列を整え急坂を登り神社に向かう習しです。

由緒

『芸藩通志』によれば、鎌倉時代の承元年間(1207年-1211年)に和知村の古城山城城主広沢与三実方が鎌倉鶴岡八幡宮より勧請したと伝わるといわれています。実方は平安時代末の藤戸合戦における功績に因り建久3年(1192年)7月に備後国三谿郡の中、12郷を与えられて所領としたといいます、そこには和知村は含まれていなかったと見られるので、実際には実方の孫の実村かその息実成の時代に勧請されたものと思われます。

実成と実綱

因みに実成は父実村の所領を兄である実綱と中分して和知庄を領した事から和知(智)氏を称し、また、乾元元年(1302年)に安芸国厳島神社を詣でた後深草院二条はその帰路、同年末に実成の居館に寄寓しましたが、その後兄実綱の居館に移った事が原因で実成兄弟があわや合戦という事態となり、彼女の知人で両人の「伯父」(実は従兄弟)に当たる広沢氏の惣領、行実の仲裁で事なきを得ています。

若宮八幡神社

「若宮さん」と通称される旧村社、若宮八幡神社は、広島県三次市十日市に鎮座する神社です。旧称鏡山(かがみやま)八幡神社、三次盆地の南縁から北に張り出した丘陵の突端部に鎮座しています。境内は桜の名所として知られ、若宮公園が隣接しています。現代では特に正月から1月末や秋季大祭式例祭に参拝者が多く訪れます。

由緒

  • 保元年中(1156年-59年)に畠敷村の比叡尾山(ひえびやま)城城主である三吉兼連(みよしかねつら)が男山八幡宮を勧請した。『芸藩通志』に因れば鎌倉時代の初、三吉村(後の原村、現三次市十日町や三次町一帯)の地頭である三吉兼範が山城国男山八幡宮を原村の救山(すくいやま)に勧請したのを創祀と伝える。
  • 天文4年(1524年)室町時代に兵火により罹災した為に三吉致高により鏡山八幡神社として新しく社殿が造立される。
  • 弘治3年(1557年)9月3日に三吉氏14代隆亮が上里村(あがりむら)寺戸(現三次町寺戸願万地)へ遷し、その折の棟札が遺されていた。
  • 天正10年(1582年)に隆亮が寄進した鉄燈籠も遺されるが、この時は上里村八幡神社と呼ばれ、当時は神田として毎年200石を社領としていた。なお、救山から上里村への遷座に際しては御神体が途中寺戸の農家に1年近く逗留したとの事で、その縁からその農家の当主が下述する神幸祭において代々重役を勤める事となったという。
  • 享保2年(1717年)に浅野長澄により社殿が修復された。近世には上里村、三次町、原村と東河内村(現東河内町)半分の産土神とされた。
  • 明治になって村社に列し、大正4年(1915年)、双三郡原町内の愛宕神社(軻遇突智命)、大山神社(大山祇命)、太歳神社(木花咲耶姫命)、若宮神社(伊弉諾尊・伊弉冉尊)、救神社を合祀し、翌5年10月に現社地へ遷座した。
  • 昭和3年(1928年)に拝殿が新築された。なお、昭和初期までは鏡山八幡神社と呼ばれていた。

祭神

誉田別尊(応神天皇、八幡神)を主祭神に、気長足姫尊(神功皇后)、仲姫命、武内宿禰大臣、足仲彦尊(仲哀天皇)、玉依姫尊、少彦名神、素盞嗚尊、中臣常磐大連公(なかとみのときわのおおむらじこう)を相殿神として祀り、伊弉諾尊、伊弉冉尊、栲幡千千姫命、木花咲耶姫命、大山祇命、軻遇突智命を合祀しています。

祭祀

10月の例祭に神輿による神幸が行われます。神輿4基による渡御で、当初は9月9日に発輿して隔年で三次町五日市の太歳神社と下述岩神弁才天社をお旅所として駐輿し、15日に還御していましたが、宝暦7年(1757年)からは旧鎮座地である救山への渡御が行われるようになり、寛政7年(1795年)からは9月14日に太歳神社で1泊、翌15日に救山へ渡御した後に還御する形となりました。

大長役

近世には神輿に神霊を遷す役である大長役は寺戸の農家の当主が勤める習いで、一説に弘治 3年(1557年)の農家に逗留した故事同様、往時道中で神輿が4基共に動かなくなった事もあったといいます。

祭事暦

  • 1月1日 歳旦祭
  • 1月2日~5日頃 正月祭
  • 1月14日 とんど祭
  • 2月3日 節分祭
  • 4月3日 上巳の節句の祭(人形慰靈祭)
  • 4月29日 天神・大仙神社祭
  • 5月上旬 春季大祭
  • 7月中旬 夏季大祭
  • 8月7日頃 七夕祭
  • 8月15日 忠魂社御霊祭
  • 10月第3日曜日 秋季大祭(例祭)
  • 11月中 七五三祭
  • 11月下旬 摂末社祭
  • 12月31日 大祓式除夜祭
  • 毎月1日(1月は5~6日頃) 月次祭
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